日语能力考一级阅读测试(三)
同じ一つの事柄でも、表现のしかたで大いに印象が异なってくる。学生たちに、「私たちの人生はたかだか100年、短いものだ」と言っても同意の反応はない。100は小さい数だが、「年」は长いと感じているから、100年は短くないのだ。しかし、「私たちの人生はたかだか30亿秒、短いものだ」と言い换えると「おや!そうだなあ」という顔つきになる。目の前を刻々と流れる「秒」という时间は极めて短いから、30秒という大きな数でも相杀できないからだろう。(中略) どんな话题でも、数字を挙げると正确そうに见えるが、その数と単位の组み合わせによって、わかりやすくも、わかりにくくもなる。その使い分けに十分注意する必要がある。数字が出された根処とともに、数の単位に注意しておかないとごまかされることがあるからだ。実感を伴わない巨大な数か、いかにも大したことがなさそうな小さな数字で烟に巻いてしまう手口が、よく使われている。 交通事故数を例にとってみよう。日本では、1年で约1万人が交通事故で亡くなっている。好调阪神で満员になった甲子园の観客5人に1人が(つまり、あなたの前後左右の谁かが、いやあなた自身かもしれない)1年のうちに亡くなり、5年で観客がゼロになるくらいの多い数である。しかし、1日にするとほぼ30人で、それを1つの都市にするとゼロか1人だから、「今日の交通事故数」が警察署前に掲示されても人々は大きな数とは思わない。つまり、あの掲示は、交通事故の恐ろしさを伝えているのではない、逆に交通事故は少ないのだと安心させており、かえって事故を増やす効果になっていると言えるだろう。 去年、戦後の交通事故の死者総数が50万人を超えたという报道があった。日本は、事故から24时间以内の死者しかこの総计に入れないが、国际的に主流となっている30日以内の死者数とすると60万人を超えるだろう。この数は静冈市や新泻市のような地方中核都市の人口に匹敌し、それだけの数の人々がすべて交通事故で姿を消してしまったことを意味する。このように积分すると「交通戦争」という言叶が実感できる。警察署の前には、せめてこの累积死者数が掲示されてしかるべきだと思う。 クルマ社会の异常さを感じている私だから交通事故数を话题にしたのだが、このような数字のトリックはどこにでもころがっている。なぜそのような数字としては発表してのかを考え、発表者の意図を见抜くことが大事だと思う。 问1「大いに印象が异なってくる」とあるが、たとえばどのように异なるのか。 1)100年と30亿秒は同じ长さなのに、30亿秒と言うと长く感じる。 2)100年と30亿秒は同じ长かなのに、30亿秒と言うと短く感じる。 3)100年と30亿秒は异なる长かなので、30亿秒と言うと长く感じる。 4)100年と30亿秒は异なる长さなので、30亿秒と言うと短く感じる。 问2「いかにも大したことがなさそうな小さな数字」の例は、次のどれか。 1)一年间に交通事故で死亡した人の数。 2)甲子园に野球を见に来た観客の数。 3)自分か自分のとなりにいる人が死ね确率。 4)警察署の前にある「今日の交通事故数」。 相关资料 |