人生はたえざる選択の連続である――これはおそらく文句のつけようがない定義だ。「我、思う。故に我あり」を実生活に置き換えると、「我、選択する。故に我あり」ということだろう。(中略) 現代がことさらあらたまって選択の時代と騒がれるのは、ニュー・メディアなどの導入により生活の表面的選択肢が増えたからではない。経済神話と神妙な精神主義に無抵抗であったこれまでの「会社人間」たちの世代が、だらしなくも、自ら選択を下すことを忘れていたからだ。狼は選択するが、ヒツジの群れは、選択しない。いたん群れの一員として馴致されると、これはこれで気楽の境遇といっていい。羊飼いに管理され、番犬に導かれるままに動いていれば、生命の危険はない。飢えることもない。でも、ヒツジにだって多少の自尊心はある。本当は完璧に管理され、判断を放棄し、選択の勇気も持っていないのに、①そうではない、と思いたい。となると、自らを暗示にかけるか、いわば「疑似選択」を行うことによって、かろうじての自己の存在証明を求める以外ない。暗示は、組織と自らを一体化しようという心の動きである。疑似選択はいくらでもできる。「右に曲がれ」という番犬の命令に逆らうふりをしてちょっと左へ走ってみるのがそれだ。他の仲間より少し早く(あるいは遅く)走る自由がそれだ。あてがわれた餌のうち、これを食べ、あれは食べない、という選択もそれだ。しかし、実際にはこんな自由や選択にはたいした意味がない。あくまで主人が許容した範囲内での自由であり、選択であるのだから。 人生は選択である、といったが、本当をいうと実生活において私たちに多く場合、この種の選択をさもおおげさにしているに過ぎない。②選択ごっこ、といっていい。 たとえば、どの学校にへるか、どこへ就職するか――。ごっこの中でもこの辺は案外深刻な選択だが、もともと進学、就職というだれが決めたか分からない人生コースをそのまま受け入れ、そのコース内での選択であるから、どうころんでもたいした違いはない(どうころんでも自己を見失わぬ、と言うだけ強固な自己を持っていれば、の話であるが)。また、休日に山へ行くか海へ行くか、あの馬に賭けるか、トヨタを買うかニッサンを買うか――この類の大小無数の選択に直面しながら私たちは日々を生きているわけだが、結局のところはこれらはみんな(③)。選択を楽しむ、という程度の意味しかあるまい。今、ふりかえって、「選択を誤ったとき」の切実な思い出がひとつも浮かんでこないのは、私自身も「人間の条件」を忘れた④ヒツジの群れの一員として、時にぶつくさ文句をいいながらも結局は太平楽にこの世を生きてきたからにほかなるまい。 (⑤)、人生は選択の連続である、という当初の定義もあやしくなってきた。むしろ、選択ごっこの連続ごあるといい直すべきか。⑥やはりそうは思わない。たとえ、それが日常生活の中の小さな選択でも、それが何らかの形で自らめざす人生の実現にかかわってくる類の選択であれば、そのひとつが真剣勝負と思いたい。少なくとも自己との対話においては、それだけ気を張って毎日を生きたい。個の選択はゆるがせにできぬが、その当否はすぐ朗かにはならない、日々の小さな選択の集積の収支決算がいつか徐々に表面化しはじめ、棺に入る直前になって人は「オレは然るべく生きた」あるいは「どうやらオレは選択を誤った」と初めて口にできるのではあるまいか、だから、まあ、⑦とりあえずは小さなことでくよくよするな、ということにもなるのだが――。 問1①「そうではない、と思いたい」とあるが、どう思いたいのか。 1自分で判断できると思いたい 2選択肢が増えたと思いたい 3生命の危険がないと思いたい 4飢えることがないと思い 問2「選択ごっこ、といっていい」とあるが、それはどうしてか。 1実生活ではどう選択するかの判断を放棄しているから 2実生活ではどう選択してもたいした違いはないから 3実生活ではどう選択するかを楽しんでいるから 4実生活ではどう選択してもけっして誤らないから 問3(③)にはどんな文を入れるのが適当か。 1誰かが選択してくれるものだ 2選択しなくてもいいものだ 3非常に重要な選択なのだ 4どうでもいい選択なのだ 問4④「ヒツジの群れの一員」とあるが、これはどういうことか。 1多少の自尊心はあるということ 2今までは選択をしてこなかったということ 3生命の危険もなく、飢えることもないこと 4管理され、判断を放棄しているということ 問5(⑤)に入れる言葉を次の中から選びなさい。 1となると 2となっても 3とみると 4といえば 問6⑥「やはりそうは思わない」とあるが、どう思わないのか。 1人生は選択の連続であるとは思わない。 2人生の選択を誤ったとは思わない。 3人生は選択ごっこの連続であるとは思わない。 4人生は無数の選択に直面することだとは思わない。 問7⑦「とりあえずは小さなことでくよくよするな」とあるが、筆者はなぜこのように思うのか。 1選択の結果は死ぬ直面までわからないのだから。 2選択を間違えても、結果は同じだから。 3選択はあくまで許容された範囲内での選択なのだから。 4選択は本来遊びのようなものだから。 問8筆者は日々の選択についてどのように考えているか。 1重要ではないし、間違えてもたいした問題にはならない遊びのようなものである。 2決定的ではないかもしれないが、それらが集まって人生を形づくるのだから、真剣に行うべきだ。 3選択の一つ一つが人生を左右する非常に重要なものだから、人と相談して慎重に行うべきだ。 4ある範囲内での選択なのだから、自分で選択しているように思っても、実はそれは誰かに管理され ているものだ。 解答与注释 問1―1問2―2問3―4問4―4問5―1問6―3問7―1問8―2
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