(1) ひとりの子どもの話です。 仕事で疲れきって、家ではごろごろしてテレビばかりを見ている父親はあまり存在感がない、まるで透明人間みたいだ、というこの文章がありました。 (①これ)ではいけない。子どもたちに、父親が働いている姿を見せたらどうか。そういう意見もあって、ある母親は子どもを連れて、父親が働く工場へ行くのです。 その子が参観の記を書きました。 「友達のおとうさんが、どこかの課長さんだとか、放送局につとめているとかいうとき、私はいつもだまっていました。『わたしのおとうさんは工場のコックさんだ』というのが、なんだか(②はずかしくてならなかった)のです。でも、わたしは、きょうからそれが(③)いえるような気がします」その子は初めて、白いコック帽をかぶった父親の働いている姿を見ます。野菜サラダを作っている。びっくりするほど早い手つきでてきぱきと仕事をすすめている。 「今まで、あんなお父さんを見たことがありませんでした。何か④よその人のような気がするくらいでした。でも、やっぱりわたしのおとうさんでした。おとうさんは、恥ずかしそうな顔などちっともしていません。わたしだけが、何で恥ずかしがっていたのかと思うと、何かわるいことをしていたような気がしました」 お昼のサイレンが鳴る。大勢の工員さんたちが集まる。「大勢の工員さんたちが、待ち構えていたように食べてい るのを観ると、わたしまでなんだかうれしくなりました。(⑥みんな)残さず食べてもらえるかと、じっとそれを見ていました」 現場を踏んだことで、子どもの父親観が変わるのです。みんなが残さずに食べてくれるだろうか。そう思ってじっと見ている子の(⑦心臓の音が伝わってきます)。「お父さんの働く場所」という現場で、子どもは家にいる父親とは別の父に出会うことができたのです。 注1ごろごろする:特に仕事もしないで過ごす。 注2参観の記:見学したときのことを書いた文章 注3手つき:手の動かし方 注4てきぱきと:適切にどんどん仕事を進めていくようす 注5待ち構える:すぐに対応できる姿勢で待つ 注6父親観:父親についての見方 問1①「これ」は、何を指すか。 1父親がいえでテレビばかり見ていること 2父親が仕事で疲れきっていること 3子どもが父親の存在を感じないこと 4子どもが父親の働く工場へ行くこと 問2②「恥ずかしくてならなかった」のは、なぜか。 1テレビばかり見ている父親に料理ができるとは思えなかったから 2コックさんなのに、家では疲れていて全然料理をしようとしないから 3コックさんといっても、放送局ではなくて工場のコックさんだから 4友達にいえるような立派な仕事を父親がしているとは思えなかったから 問3(③)に入る適当なことばを選びなさい。 1平気で 2ますます 3がんばれば 4じょうずに 問4④「よその人のような気がするくらいでした」とあるが、それはなぜか。 1家で何もしない父親が生き生きと仕事をしていたから 2子どもが来たのに父親が無視して仕事をしていたから 3父親が会社の課長か放送局の人間のように見えたから 4父親に白いコック帽があまり似合っていなかったから 問5⑤「わるい」というのはここではどんな意味か。 1友達にたいしてずるい 2父親に感謝したい 3友達に対してひきょうだ 4父親にもうしわけない 問6⑥「みんな」は何を指すか。 1工員さんたち 2コックさんたち 3子どもたち 4工場の昼食 問7⑦「心臓の音が伝わってきます」とあるが、ここではどういうことか。 1子どもの心臓の音が工場の人に聞こえること 2どきどきしているようすが読んでいる人に分かること 3はきはきしているようすが読んでいる人に想像できること 4びっくりしているようすが工場の人に感じられること (2) 液体としてのH2Oを表す語として、日本語には「湯」と「水」がある。この場合、湯というもの、水というものの区別がまずはっきりとあって、それに対してそれぞれ「湯」および「水」という名前がつけられているというふうに普通考えられる。これは、ごく当たり前の見方であり、たしかにそういう面もある。しかし、よく考えてみると、これによってすべて説明がつくわけではないことがわかってくる。(この見方に従った場合)、あらかじめ存在すると見られる湯とは一体なんか、また、水とは何かを考えてみると、湯は温かいもの、そして水は冷たいものという程度の漠然としたことはいえても、では、何度以上が湯で、何度意以下が水かということになると、はっきりと決めることはできない。つまり、自然界には、水と湯の明確な区分というものは本来存在しないのである。 注1「湯」および「水」:「湯」と「水」 注2あらかじめ:もともと、はじめから 注3漠然とした:はっきりしない 問「この見方に従った場合」とあるが、「この見方」とはどのような見方か。 1日本語には液体のH2Oを表す語として「湯」と「水」があるという見方 2湯と水の区別がはっきりとあって、それぞれに名前があるという見方 3湯は温かいもの、水は冷たいものであるのが当たり前であるという見方 4自然界には、水と湯の明確な温度の区分は本来存在しないという見方 (3) 「何杯食べても四百円か」 男は、ラーメン屋の立て看板にめをやると、すぐに店の中に入った。 男は若く、体格が良く、かなりの大食漢。 ラーメンを一杯、軽く食べると二杯目に入った。 「お客さん、どんどん食べてください」 やがて、三杯目。これもクリア。 (「①まだまだ遠慮しないで、もっとたべてもいいんですよ」) 『それにしても、(②こんなことでよく商売が成り立つな)』 男は四杯目に入った。だが、さすがに全部食べることはできなかった。 「もう腹いっぱい。四杯でやめておくよ。お勘定!」 「千六百円です」 「えっ、四百円じゃないんですか」 「お客さん、外の看板をみてくださいよ」 『おかしいな』と思い、看板を見ると(何杯で食べても一杯四百円)のまちがいだった。 注1体格が良い:体が大きくてしっかりしている 注2大食漢:たくさん食べる人 注3成り立つ:できる 問1①「まだまだ遠慮しないで、もっとたべてもいいんですよ」とあるが、店の人はなぜこういったと考えられるか。 1客が食べれば食べるほどそれだけ自分がもうかると考えたから 2客が遠慮していると思い、もっとすすめようと思ったから 3客がとてもおなかがすいていてかわいそうに思えたから 4客がラーメンをどんどん食べる様子が気持ちよく考えたから 問2男が②「こんなことでよく商売が成り立つな」と考えたのはなぜか。 1その店の人が自分に無理に食べさせようとしたから 2その店のラーメンは何杯食べても四百円だと思ったから 3その店ではラーメンが一杯四百円しかしなかったから 4その店で食べたラーメンがあまりおいしくなかったから 正解(1) 問1―3 問2―4 問3―1 問4―1 問5―4 問6―4 問7―2 正解(2) 問1―2 正解(3) 問1―1 問2―2
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